2009年11月09日

み旨の道[23] 〜関心を持つ〜

人に対して関心をもちなさい。愛しなさい。
〜み旨の道〜

私が統一教会に導かれて間もないとき、教会の青年部のお兄さんに、「愛することは知ることから」と教わりました。
まず、その人に対して、関心を持つ。どんな仕事をしている?好きな食べ物は?色は?スポーツはするのか?どんな部活だったのか?趣味は?好きなことは?嫌いなものは?どんな性格?理想とする姿は?夢はあるのか、どんな夢か?どの球団のファン?親御さんはどんな人?ご兄弟は?勉強は何が得意だったのか?…。

知ると、情が湧いてくるものです。
なんで、この色が好きなんだろう?どうして、こんな夢を?なぜ今の仕事を選んだのだろう?どんな育ち方をしたのかな?…
こんなにすばらしいこと、考えていたんだ。こんなものの見方をするんだ。がんばってるなぁ。こんなことできるなんて、すごいなぁ…

いろんな情が湧いてきます。
「その時は、本当に大変な思いだったんだろうなぁ」
「孤独だったんだろうな…」
「すごく、楽しそう!」

すると言葉に出てくるものです。「やさしいんですね」「ほんとに志が大きいんですね」「前向きなんですね」
「それは、さびしかったですね…」
「おもしろいっ!」

心がこもった言葉は、人の心にしみこんでいくものです。

そんな言葉で、人の心をいやしたり、元気の元になったり、気づきのきっかけや、やるきの種になったり…。

愛していく私になっていきたく、思います。


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posted by いち at 23:53| Comment(2) | TrackBack(0) | み言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
愛は知るところから始まる、確かにそうですね。堕落圏にある私達はともすれば自分の目、見方で人を見て勝手に判断してしまいがちです。私も透明な心を持って神様、父母様と同じ目で全てを見つめなければいけないのだと思います、神様はたとえ堕落してどんなに罪深くても神様御自身がその人の中に埋めた神の子としての真の姿を見つめて愛してくださっています。神様こそが人間一人一人をいちばんよくご存知でいてくださるんですよね、だから私も神様の目を持てる自分になり人を真の愛で愛せる私になれるよう頑張って行きたいと思います、なかなか難しいことではありますが・・・・・。
Posted by ひろちゃん at 2009年11月10日 07:56
ひろちゃん様、こんにちは。今日もコメントありがとうございます。
そうですね。「私」の目でみて、「私」のものさしで測って、そして、その基準は「正しい」と思ってしまいます。
私自身、大変よくあります。
時には(しょっちゅう!)、私のものさしが当てはまらないことがあるんだと認めることから始めていきたいです。
また、足をお運び下さい。
Posted by いち(管理人) at 2009年11月10日 15:45
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