2009年11月25日

愛が欲しい

うまくかけないかもしれませんが…。
愛のある人になりたい。
切に思います。

愛は、関係性の中から生まれます。統一原理の言い方だと、「授受作用」によって生まれる。
つまり、愛は、相手がいてこそ具現化する。相手がいないと愛が表れない、というのでしょうか。相手が絶対必要
人に優しくすることだけが愛ではないと思う。厳しくすることだって愛。
「どのように接するか」、よりも、本質は、「どんな動機で接するか?」ということ。
どれだけ、「相手のために生きることができるか」ということ。

でも、愛は、育ちにも大きく影響されます。端的に言うと、自分自身が愛されたようにしか、人に愛することができない。受けた愛なら、与えることができる。生まれてこの方受けたことがない「愛」を相手に与えることは本当に、難しい事。
生まれて最初に受ける愛は、「親の愛」。家庭環境、単純に言うと、「親が受けてきたようにしか愛せない」わけなので、親の育ちが、私の育ちの「大きな原因」となる。では、その親(祖父母)の育ちが…、とたどると、出会ったことの無い、ご先祖様の愛の器が、私の愛の器の「大きな原因」となる。

この、巨大な、歴史的な愛の連鎖の中で、生まれ育った私が、それを遥かに越えた「愛」の人になるためには、どこかで、「遥かに大きな愛」を受ける体験をするのが、実は近道になるのです。

この、「遥かに大きな愛」はどこに? それが「真の愛」。神様が、私たちに対するときの、「与えて、与えたことを忘れてまた与える愛」、「無限に無償の愛」をどれだけ実感するか、体感するか…。

私が神様に出会い、己の愛の器の小ささを痛感して、せめてこれから、この「ひび割れだらけの愛の器」を作り変えたいっ。と思ったのが、今、ここにいる、一つの理由です。

神様の真の愛を相続しよう!
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posted by いち at 22:53| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月24日

善きものを数える生活〜我が恵み、汝に足れり〜

最近、イライラすることが多いのです。
 も〜っ! 帰ろうとすると、仕事が!
 も〜っ! 今頃そんなこといわれても…昨日、ちゃんといったでしょ!
 も〜っ! 神様、なんで私ばっかり貧乏くじが回ってくるの!
 も〜っ! …。


昨日、「イライラしている自分」そして「悪影響を振りまいている自分」に気づき(自覚した)、少し、あせりました。一つは、その状態の、自分の(心の)醜さに。もう一つは、その状態を、気付きもしなかった自分自身に。だいぶん、心が病んでいるように思います。
今日、またイライラしながら(今度は自覚できました)、考えます。「いったい、なんでこんなにイライラしてるんだっ!?」

今日の結論は、「ものさしが自分中心」だったということです

午前中、世田谷の方にお使いを頼まれたので、往復1時間半かけて荷物を取りに行ってきたのです。すると夕方、同じ人から、同じ場所に別のお使いを頼まれます…ん?…えっ!?それなら、最初のお使いはこの時でもよかったはず!わざわざ二回いかなくてもよかったのにっっ!

でも昨日のことを思い出し、移動中に、少し頭冷やして考えます。何でこんな効率悪いことを、そこに、「何か意味があるのか」…。

あったんです。意味が!

確かに、「効率の悪い事」なのは事実だと思います。でも、それを通して、「イライラして、不機嫌をまき散らす私の”状態”は、よくない。」そこに気付く事ができたのです。「気付き」は改善の第一歩です。

様々な出来事は、私の至らなさを気付かせてくださるための、神様の采配。

今のできごとに、神様の恵みが隠されている。気付くか、気付かないかで、ずいぶん違う、「人生に対する満足度」=幸せ。

「我が恵み、汝に足れり」コリント2、12章9節の聖句が頭をよぎりました。

神様は、常に導いているんだなっ。と思った瞬間でした。

今日の一日に、感謝。

そして、明日も、精進・成長を!「無いものを探すより、あるものを探す」そんな一日を目指してがんばろう!と思った次第です。


ラベル:聖書 み言
posted by いち at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月23日

日曜日は、安息日とも言うんだって!?〜統一教会の正体より〜

安息日を覚えて、これを聖とせよ。
〜旧約聖書:出エジプト20/8〜


日曜日は、基督教(ユダヤ教)での「安息日」の意味から、休日とされたといわれています。

神様が、6日(段階)をもってこの世の全てを創造して、人間始祖アダム・エバまで創造されて、7日目に安息された、という聖書の聖句が基となっております。

基督教では、この日に、主である神様とイエス様に礼拝を捧げるのが慣例です。

では、安息日って、どんな一日なんでしょう?そして、統一教会では安息日は、どのような日と説明されていますか?
「安息日を聖なるものとして守る目的は、神様が願う国を建て、人類を救うことでなければなりません。キリスト教が安息日を守ってきたのは、この日を聖なるものとして守ることにより自分自身が昇華あれ、自分自身を思う、すなわち救いという目的に重点を置いたためです。
私たちが安息日を守る目的は、自分の救いの道を促進することでもありますが、さらに進んで全体を救い、今後神様の摂理である国と世界を救うという目的に、より重点を置いているのです。これが、より高い責任をもつ神様の願いであることを知らなければなりません。」〈文鮮明師〉
【「統一教会の正体」より抜粋】


神様を慕い求め、感謝と讃美を捧げていく日に。世界の平和nために祈りを捧げる日にしていきたい、と思いました。
もう今週も火曜日になってしまいますね。今日も皆様、お疲れ様です。
明日も神様と真の父母様の守りと導きが豊かにありますことをお祈りします。

そして、一日、一日を、さらに有意義に過ごしたい、と思いました。
posted by いち at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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